vol.4 コロンボとアート及び建築の文脈

有機的なデザインにどこかに穴をあけます。
穴があいたものをつくらなければいけない、という意識のほうが大きかったのです。

M:コロンボのデザイナーとしての作品で、その形、色、表現方法やフィロソフィー、といったものがこの芸術活動からつながっているなと思われるものが、ファヴァタさんの目から見て何か具体的にありますか?

F:有機的なフォルムに穴があいていることが、その頃の活動の影響ですね。
例えば、これが彼の最初の自宅です。これは梁ですが、これにも穴があいていますね。これはその活動からの流れです。
それからカルテルの椅子のユニバーサルもそうですが、有機的なデザインにどこかに穴をあけます。たしかに穴があいていれば持つのに便利ですが、機能以上に、穴があいたものをつくらなければいけない、という意識のほうが大きかったんです。

M:例えば、渡されたスケッチを図面化する際に、穴をあけていないようなときには「穴があいていないじゃないか」と注意されるのですか?

F:ええ、ジョエからずっと言われ続けました。それは重量感のあるものを軽量化するために必要だった、ということもあります。時には穴をあけることが軽くすることと関係ないときもありましたが、ジョエにとっては見た目からいった美しさのためにも穴は必要だったと思います。
別の例としては、ポッツィの椅子のモデル300ですね。実際は背中の部分に穴をあけたかったんです。たしかに持つのに穴がなかったら不便ですね。でもこれは技術的に作るのがとても難しくて、結局できませんでした。なんにしてもボタンホールのようなものをつけたがりました。穴をあけることの意味を見出そうとしたのですが、結局のところ、ジョエは見た目の美しさのために穴をあけたかったんですね。

Cosmit編集「JOE COLOMBO」の表紙。ユニバーサルに座るジョエ

Cosmit編集「JOE COLOMBO」の表紙。
ユニバーサルに座るジョエ

M:50年代に活躍した北欧のデザイナー、あるいはイームズやネルソンなどのアメリカのデザイナーに対して憧れを持っている方が多いのですが、
コロンボはどうでしたか?

F:彼は自分の頭で考え、とても独創性のあふれる人でした。50年代初めの頃、彼はまだアートをやっており、そしてその後建築に移ったわけですが、建築で影響されたのはスカンジナビアではありませんね。むしろパリで起こった前衛的絵画運動「アンフォルメル」からだと思います。
つまり、彼の建築はほとんど白紙の状態から表現していた、との説明が妥当かもしれません。ジオ・ポンティやマルセル・ブロイヤーの影響を思わせるものもありますが、基本的にはその当時の建築の流れで、彼に直接影響を与えたものはありませんね。例えばこのユニバーサルの椅子のラインを見ても、建築の文脈とつながらず、アートとリンクするのです。

M:すると、このやわらかいフォームはアンフォルメルからきたのですか?

F:いいえ、これはジョエの芸術運動ですよ。もちろんアンフォルメルの影響も多少ありますが、これは彼自身のヌクレアーレ運動からきたものです。
ジョエはフランク・ロイド・ライトのような有機的な建築を好みました。合理的建築にはあまり興味がなかったですね。

ああ、やっと見つけました。これ、これですよ。
私の主人が、これは作れる。プロジェクトとしてとても面白い、と太鼓判を押したものですが・・・。

ファバタ女史

M:最後の質問です。コロンボ自身が得意とした、あるいはこだわりのあったものは何ですか?

F:何が、というわけではありませんが、もし挙げるとすれば車でしょうか。
しかし、基本的には何かに特別こだわりがあったわけではなく、何にでも興味を持つ人でした。何世紀もの間、形が変わらないものを変えたい、または何か違うものをつくりたい、という気持ちでいつも個性のあるものを求めていました。

M:コロンボは車が大好きなのに、どうして車をデザインしなかったのですか?
もしデザインしていたら、どういうのをデザインしたと思いますか?

F:ちょっとお見せしたいものがあります。実際公表されたデザインが一つあるのですよ。
ちなみに私の主人は車の企画をしていて、ジョエのデザインを見て、その中には「これは製品化できる」といっていたものも結構あるんですよ。ジョエは車もデザインしていたんです。車の構造も自分で研究していました。

M:そのコロンボの絵はただのスケッチレンダリングですか?

F:いいえ、それは車のメカニズムを調べた、そのときのデザインです。一つだけベルトーネに対してデザイン提案をしました。ジョエはベルトーネさんを直接知っていましたから。
ああ、やっと見つけました。これ、これですよ。
私の主人が「これは作れる。プロジェクトとしてとても面白い」と太鼓判を押したものですが・・・・。

M:・・・残念ながら実現のために話をすすめる機会も失った、というわけですね。

F:ジョエは1971年、41歳の誕生日の日にこの世を去りました。
私が共に過ごしたのは短い間でしたが、私の人生を変えた忘れられぬ3年間でした。

2004年 3月19日  Joe Colombo Studio にて