ジャンカルロ・ピレッティ氏
スペシャルインタビュー

2001年からジャンカルロ・ピレッティの名作チェア「プリア」を販売していた私達は、製造メーカーであるイタリアのカステッリ社からの紹介で、2003年にピレッティ氏とのインタビューの機会を得る事ができました。紹介文献も少なく、あまり知られていない初期の歩みに関して、ジャンカルロ・ピレッティ氏のロングインタビューを公開いたします。

代表作 DSC106とプリア

メトロクス
(以下メ)
(以下メ):
‘65年、DSC106をデザインされましたが、これについて話していただけますか?
ピレッティ氏
(以下ピ)
(以下ピ):
カステッリ翁のお陰でスタジオを与えられた私は、独力で研究を始め、望んだものをデザインするという可能性を獲得しました。この頃にデザインした一つがアルミニウムを使ったDSC106です。その当時はまだこの材料の扱いが難しくて、殆ど事例がありませんでした。DSC106について語るべきは、社内で誰もアルミニウムのことを知らなかったということです。アルミニウムで何かをデザインしたかった私は、材質や鋳造のことなどを自力で勉強しなければいけませんでした。
メ:
それまではアルミニウムを使った他のプロジェクトはなかったのですか?DSC106が最初なのか、あるいは・・・。
ピ:
チャールズ・イームズがいます。私のデザインの師です。

DSC106

メ:
当時アルミニウムは安かったのですか?
ピ:
安かったです。それとクロムめっきには問題がありました。クロムめっきは35年前大変有害だと言われたので、クロム以外ではアルミが唯一光沢を出せる素材でした。磨きをかけるとクロムのような光沢になり、でもクロムは使われていない。しかも軽いのです。
私にとって全く新しい素材でしたが、カステッリの社内には誰も助けてくれる人がいなかったのです。
メ:
その素材と付き合えるのはあなただけだったのですね。
ピ:
アルミニウムをどのように扱えばよいのかを学び、最終的にはデザイナーでありながら、テクノロジーについてのエキスパートにもなったわけです。
メ:
それではプラスチックの導入についても同じ頃に?
ピ:
ええ、‘65年以前はアルミニウムより木材が主流で、カステッリは全て木を使っていました。カステッリは木に精通していたので、私はアルミニウムの最新技術とカステッリの技術を融合した椅子をデザインしたのです。それがDSC106です。

プリアとピレッティ

メ:
そしてプラスチックは?
ピ:
プラスチックはプリアをデザインしている時なので、もう少しあとです。背もたれが見えない素晴らしいものでした。すぐに透明を考えたのではなく、構造について先に考えました。このメカニズムにはマジックがあります。マジックは全てここ(折りたたみ機構のノブ)にあります。このようにしたいと思っても技術者達には不可能と思えたでしょうね。しかし私はそう思わず、マジックを効かす極めて小さいものを欲したのです。そこでまた自力で学ばなければならず、その日から全部一人でやろうと考えたのです。その決意はそれ以来変わっていません。
メ:
チームとしてではなく、ほぼ一人で生み出したということですか?
ピ:
はい。これは全て私がやったのです。カステッリは主にオフィス用の家具を作っていましたが、これをプレゼンしました。そうしたらカステッリは「これはオフィス用ではなく家庭用だ」と言うのです。そこで私は「この椅子は重要な椅子だと思うから、何用とこだわらずに製作すべきだ。いざという時にはオフィス用としても使え、住宅のロココ調家具の傍においてもさまになる。」と答えたのです。
透明ですからね。透明が美しく背もたれも見えないところが良かったのです。
メ:
そしてあなたはカステッリを説得し続けた・・・
ピ:
製品化にあたりラッキーなことも重なりました。バイエルはそれまで透明素材をもっていなかったのですが、眼鏡のレンズのためにそれを開発中だったのです。私はそれと同素材のものをバイエルで学びました。チェリドールという素材は眼鏡向けに開発されていたものなのです。
メ:
名前を確認させてもらえますか?
ピ:
バイエルのチェリドールです。
メ:
セルロースとは違うのですか?
ピ:
チェリドールはバイエルの商品名なので、今の一般的な名称はセルロースかもしれません。
私自身がバイエルを訪ね、彼らは親切に対応してくれました。ここ(折りたたみ機構のノブ)のところを私は研究し、当初はできなかった、内部にメタルの円形状のものを組み合わせることも成功しました。透明素材もありませんでしたが、バイエルが私のために研究してくれた。これは信じられない幸運な組み合わせです。なにせ700万脚売れたのですから。
メ:
プリアの関連商品では、「P」で始まる商品名を多くお見受けします。何かこだわりがあるのですか?
ピ:
それは私がつけたのではありません。プリア、プラトーネというのは遊びです。グループのようなもので、コピーライターが色々なタイプに「P」から始まる名前をつけたのです。私自身では一度も名前を考えたことがないです。プリアは、フランス語の折りたたむという単語でpliableでしょう。音です。
プラトーネはプラトン学派のプラトンからきています。プランタは植物。これはプラノ、平面だからですね。パネルからきています。

プラトーネ

特許権とロイヤリティー

メ:
この椅子(プリア)の特許所有は誰になるのですか?
ピ:
カステッリです。私ではないです。つまり私は発明者でありますが、所有者はカステッリです。
メ:
何の特許ですか?
ピ:
機構の特許です。意匠も登録しました。

プリアの機構

メ:
形状やデザインということですね。
ピ:
フォルムと外観のソリューションの二つです。でも機構の発明と比較すると、フォルムと外観のソリューションの権利の保護は弱いです。メカニカルパテントは20年間誰もコピーが出来ません。
メ:
何年に特許がとれましたか?
ピ:
69年か70年、覚えていません。68年かもしれません。
メ:
その当時のカステッリの経営方針を知りたいのですが、DSC106やプリアができた前後ではずいぶんと変貌がありましたね。
以前は木製家具を生産していたわけですが、カステッリはこの移行を自然な流れとしてみていましたか?
ピ:
いや、いや、私がしょっちゅう言い張らないといけなかった、口論も頻繁でした。彼らがやらないのなら私は去ってしまうと何度も脅さなくていけませんでした。DSC106のプロジェクトも2年間止まったままだったのです。私は言いました。「もしあなた達がやらないのなら、私は去る。それが私の姿勢だ。私はこれをここでやりたいのだ。このためにあなた達だってリサーチにお金をかけた。これらをここでやりたい。やらないから去る。」とね。
メ:
あなたはいつも自分の意思を通し仕事をしてきましたね。でもなんと言うか、工業デザイナーとして、会社の売上を増やそうなどの考えはありましたか?
ピ:
それは分からないと言うか、考えたことがないですね。ノーです。なぜならそういうことは結果ですから。私はこの椅子がそれほどにビジネス上重要だとは思っていなかったのです。なぜか分かりますか?この椅子の型の見積もりをとるとき、3万脚から5万脚で話していたのです。でも700万脚になってしまったのです。先のことは誰も分からないのです。この作品は好きでしたが、30回金型を作り直すとは思いませんでした。この製品ができた時、5万脚できればいいなと皆で思っていたのであって、700万脚など考えてもみなかったのです。