ジャンカルロ・ピレッティ氏
スペシャルインタビュー

2001年からジャンカルロ・ピレッティの名作チェア「プリア」を販売していた私達は、製造メーカーであるイタリアのカステッリ社からの紹介で、2003年にピレッティ氏とのインタビューの機会を得る事ができました。紹介文献も少なく、あまり知られていない初期の歩みに関して、ジャンカルロ・ピレッティ氏のロングインタビューを公開いたします。

影響を受けた北欧のデザイナーたち

メトロクス
(以下メ)
(以下メ):
‘50年代、‘60年代にチャールズ・イームズアルネ・ヤコブセンと会った頃の話しを聞かせてください。
ピレッティ氏
(以下ピ)
(以下ピ):
私が結婚したとき、ヨーロッパのデザインの中心はデンマークでした。そこにはデザインについての情報が集まっていました。フィン・ユール、アルネ・ヤコブセン、ハンス・J・ヴェグナー達は偉大なデザイナーでした。そして私は新婚旅行でデンマークに行ったのです。
メ:
新婚旅行で?
ピ:
そう、デンマークです。そこですごく幸運な出来事がありました。そこで若い建築家と知り合ったのです。私は25歳で彼は35歳くらいでした。イタリア人でね、彼はヤコブセンの事務所で働いていたのです。それで私はヤコブセンの事務所へ連れて行ってもらいました。最初は訪問でしたが、ここにしばらく居ても良いか聞きました。それで2、3週間そこで働く機会を得たのです。
メ:
新婚旅行中に?
ピ:
(笑)新婚旅行中に。私の妻は毎日美術館に行っていたと思います。ちょっと怒っていたけど。でも私にとってアルネ・ヤコブセンのところでデザインするなんて夢だったのです。
メ:
そのイタリア人とは偶然に会ったのですか?
ピ:
そうです。ボローニャにデンマークのものを輸入している“チェネートリ”という店がありました。デンマークで “デル・ペルマネンテ”という店を訪れたときに、“チェネートリ”の話しを店の客としました。すると「あなたはイタリア人ですね。その店をよく知っているので、今度一緒に行きましょう」と言われ、「で、君は誰なの?」と聞くと、「私は建築家でヤコブセンのところで働いているんだ」(笑)。
ヤコブセンのスタジオはヘルシングボリとコペンハーゲンの間の町にありました。ルイジアナ美術館の近くです。そこで短期の仕事をさせてもらい、ヤコブセンの仕事ぶりを見る事もできました。

アルネ・ヤコブセン

フィン・ユール

メ:
あなたはヤコブセンと会われましたが、他の北欧のデザイナーともお会いになりましたか?
ピ:
ポール・ケアホルムとは会ったことがあります。彼はとても良いシェーズロングを作りました。詩的でとても美しい。ヤコブセンほど親しくないが、フィン・ユールとも知り合いです。
残念ながらアルヴァ・アアルトとは会えませんでした。
メ:
あなたが今おっしゃったデザイナーは皆、木を使用していますが、あなたの作品で木はあまり使われていませんね。
ピ:
もし何十万という数の製品を作るなら木は使えません。木は値段が高すぎます。プラスチックかアルミニウムを使うのはそれが理由です。DSC106は木とアルミを合わせたけれど、コストを低く抑える事に成功しました。だから今も売れています。フィン・ユールの作品は美しいですが、高額だからたくさん売る事は難しいと思います。私は低コストで大量に販売する事にこだわりました。
メ:
ヴェルナー・パントンとは親しいようですね?
ピ:
パントンは私の友達です。晩年は飲んでばかりいましたがね。
メ:
あなたが彼と知り合ったのは、彼がスイスに移ってからですか?それともその前ですか?
ピ:
その前、デンマークにいた時です。当時彼はバイエルとよく仕事をしていました。
メ:
多くのイタリア人デザイナーはこう言います。「我々はアメリカやスカンジナビアンデザインからは影響を受けていない」と。あなたもそうですか?
ピ:
他人がどう言っているか知りませんが、私は何か美しいものを見たとき、それがアメリカのものであれ、スカンジナビアンやアジアのものであれ、それに近づいて目を凝らします。美しければ無意識に影響を受けますよ。私がヤコブセンに影響されなかったなんて言えやしない。フィン・ユールも私にとってとても重要な人でした。

チャールズ・イームズ

アルミナムグループチェア

メ:
チャールズ・イームズとの出会いは?
ピ:
私がチャールズ・イームズと会ったのは、カステッリがパリでプリアをプレゼンしたときです。その時、ハーマンミラーはイームズのアルミナムグループをプレゼンしていました。そこで彼と彼の奥さんに出会いました。後にピレッティコレクションの発表会でレイ・イームズと再会しました。その時彼女は私の椅子を見て絶賛してくれたのを覚えています。
メ:
あなたはイームズからも多くを学んだわけですね。
ピ:
そうです。私は彼の仕事、彼の人生をよく見ましたからね。実際にアメリカでイームズと親しい人と知り合って、イームズのところで働くように勧められた事もありました。しかし私はもう結婚し家族があったので、渡米できませんでした。それにもうカステッリで働いていたし。
メ:
特にどの作品から多くを学びましたか?アルミナムグループですか?それともプライウッド?FRPの椅子ですか?
ピ:
全部です。私にとって彼は大天才でした。今でも私にはこれ以上大切なアメリカ人はいません。
メ:
どういった点であなたにとってイームズが重要なのですか?イームズのどの作品をあなたは高く評価しますか?
ピ:
戦時中に木で作った、脚を怪我した人のためのもの見たことありませんか?名前は知りませんが・・・脚につけるものです。包帯を通す穴があります。私がロサンゼルスに行ったとき、アンティークショップで見つけてすぐに買いました。その完成度といったら・・・彼は木という素材を知り尽くしていました。木の表現力を最大級に使いこなしていました。
メ:
レッグスプリントという製品ですね。
ピ:
レッグスプリントというのですね。あなたは何でも知っていますね(笑)。 プライウッドのチェアも買いました。私は椅子として買ったのではなく芸術作品として買ったのです。彫刻品としてね。
メ:
当時は若いデザイナーで外国に行ける人は多くありませんでしたね。
ピ:
そうですね、私は運がよかったのです。イームズと会うこともできたし、結婚してヤコブセンのところに行けたのも、全て幸運なめぐり合わせです。
でも今の若い人たちはどうだろう?雑誌やインターネットばかり見ています。そしてフィリップ・スタルクが知的と言われていて、若者達は、皆彼の影響を受けていますね。おそらく私がイームズに抱いている感情を今の人たちはフィリップ・スタルクに抱いているのでしょう。