Riki Watanabe
ジャパニーズデザインのパイオニア

ギャラリートーク

Bruno Taut industrial arts, Design
レクチャーイベント『日本のタウト -眼差しと流儀-』
14th.Jan.2006

ブルーノ・タウト -工芸・デザイン-展の関連イベントとして開催したギャラリートーク『日本のタウト -眼差しと流儀-』。デザイン史家の森さんと、タウト来日時の当時を知る渡辺力さんによるギャラリートークの模様をお届けいたします。

vol.2 渡辺力氏への質問

【話し手】森仁史(デザイン史家)、渡辺力(デザイナー)

森:
折角の機会なので渡辺先生にお聞きしたいことがありましたら、挙手願います。
参加者A:
YS-11のインテリアの話は有名ですが、原寸のモックアップまでだったというお話しを聞いていますが、そのエピソードをお伺いしたいのですが。
渡辺:
YS-11のことですか。そのころの僕の事務所は人員不足でスタッフが揃っていなかったものですから、モックアップもうまくできなくって、大変残念に思っています。1956年にアメリカのデザインを見て来いというので、アメリカ国務省の招待で八週間くらいに渡ってアメリカのデザイン事務所や研究所、例えばIBMとかハーマンミラーとかを見る機会に恵まれました。そのときに、ニューヨークでボーイング707、そのときは70だったかもしれません。一番初めのボーイングのジェット旅客機を実物大の機内のモックアップを見せられました。
それが頭に残っていまして、インダストリアルデザイナーのパイオニアだったウォルター・ダーウィン・ティーグが内装を全部やったものでした。それが印象にあったものですからYS-11にも影響があったように思います。
参加者A:
近代建築史の研究をしておりますが、先生が高等工芸に在学中に山脇道子さんの展覧会をご覧になって、感銘を受けられて、その年の新建築工芸学院の夏期講習に通われると書かれています。そのあたりのことで印象に残られていることと、それから新建築工芸学院はその後、井上房一郎さんとの関係で、高崎工芸製作頒布所でしたか、つまり銀座の学院でデザインして高崎の工房でつくるという、ある種バウハウス的な試みがあったということになっていますが、そのころちょうど先生も高崎にいらっしゃることになって、そういった実態をご覧になられたかもしれないと思いますが、そのあたりで印象に残っていることをお伺いしたいのです。
渡辺:
新建築工芸学院というのは、川喜田煉七郎という建築家が銀座にデザインの塾のようなものを開いておられたんですけども。その夏の講習会に僕も申請したのですが、後で聞いたら剣持さんもいたらしいですけど。
森:
剣持さんが通ったのは昭和8(1933)年ですけど、その時ですか?
渡辺:
僕が学生だったころですかね。良く覚えていないのですが。
その当時、ナチスが政権をとった1933年に、バウハウスがナチスにつぶされて、山脇敏子さんがそのころバウハウスという造形大学にいたのですが、そのバウハウスに留学していた山脇道子さんが銀座の資生堂ギャラリーで個展をされたのです。それがちょうど僕が高等工芸に入った春だったものですから、非常に勉強になりました。
例えば、織物を山脇さんが専攻されてきたのですが、織物の中にセロファンのようなものが織り込まれていました。その当時は頭がガチガチで固定観念しかなかったので、非常に衝撃的でした。
参加者C:
1958年にクラフトセンタージャパンの設立に加わられていますが。先ほど森さんが、タウトが職人や作り手の個性を生かすような意識を持っていた、と説明をされていましたけれども、クラフトセンタージャパンを設立するにあたって、渡辺先生も作り手をまとめたいと思ったのは、タウトさんからの影響はあったのでしょうか?
渡辺:
クラフトセンタージャパンに加わった頃、“クラフト”という言葉をつくりだしたというのは、そのころ“工芸”という言葉しかなくて、“工芸”という言葉も民藝からグラフィックから、全部美術工芸ですね。床の間に置くような美術工芸というものに僕らが反発して“クラフト”という新しい言葉を創ったわけです。
その当時、日本でつくられた雑貨を丸善が輸出していました。その品質の悪さを丸善の塚田社長が良く知っていて、塚田さんも賛同してクラフトセンターをつくったわけです。もちろんタウトの影響もあったと思います。
参加者C:
タウトが批判したという、ミラテス時代に井上工業から依頼されたという原寸の金属製の椅子というのはどのようなかたちをしたようなものなのでしょうか?カンチレバーだったのですか?
渡辺:
カンチレバーではなかったですね。四本脚でした。
参加者C:
つまりタウトはヨーロッパのモノマネをすることに対してあまり快く思っていなかったのでしょうか?
渡辺:
そうこともあったでしょうし、ドイツにいたときは知らないのですが、日本に来て金属ということに対して違和感を持っていたようです。
渡辺:
3月5日まで東京国立近代美術館で僕の個展を開いておりますので、よろしければ見てください。