リ・デザインの変遷
“進化し続ける椅子”
1940年代に始まり、幾度の試作を繰り返し、改良を重ね続けてきた「小椅子」は、いつの頃からか“進化し続ける椅子”と呼ばれるようになりました。長大作が初めて手掛けた椅子に自らリ・デザインを加え、時代と共に進化してきた、日本のモダンデザインの頂点といえるこの名作の歴史を振り返ります。
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1934
スタンダードチェア -
20世紀を代表するフランスのデザイナー ジャン・プルーヴェの代表作。プライウッドとスチールという当時としては先進的な素材の組み合わせ。現在も、vitra(スイス)で製造されているロングセラー。
販売ページはこちら 後脚は三角形のプレート状で、プルーヴェによる構造美学が生かされている。
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1947頃
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ジャン・プルーヴェと親交のあった建築家 坂倉準三の「スタンダードチェアを木製にしてみたい」という想いから、木製の椅子が試作される。この頃、長大作が坂倉準三建築研究所へ入所。ここからリ・デザインの歩みが始まる。
スタンダードチェアに見られた平たい脚、垂れるような座面のデザインが継承されている。
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1947頃
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第1号のデザインを発展させ、背や座に竹かごを採用した小椅子。
座面にかご編みが用いられている。
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1950
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大阪・難波の高島屋拡張工事における喫茶室の設計を長大作が一部担当。その喫茶室用の家具として製作されたのが、竹かごモデルをさらに改良した小椅子。背に丸みを帯び、プルーヴェのデザインから脱却している。
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1953
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さらに改良を重ね、背と座に成形二次曲面の合板を採用。現在のデザインに近い形状が確立される。
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1953
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曲線にこだわって試行錯誤の末、柿の実のフォルムが完成。1953年、東京銀行 丸子クラブハウスで採用される。イギリスのHabitatでも販売がスタート。のちに長大作は「柿の実を縦に割ったときの曲線の力強さに気がついた」と語っている。
丸子クラブハウス
Habitatから製品化。イギリスでの商品名は「かきチェア」という案があったが、ディレクターのトム・ディクソンの提案により「DAISAKU」という名で発売された。
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1955-1958
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丸子クラブハウスに納品以後、住宅家具としての注文が殺到。その要望に応じ、背と座にクッションが施されたモデルが登場する。1955年、国際文化会館の食堂へビニールレザー仕様、1957年には藤山愛一郎宅、1958年には松本幸四郎宅へ本革仕様が納められた。
国際文化会館の食堂
藤山邸
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1960
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初めてフレームにラケット構造(駒入れ加工)を取り入れる。座がフレームから浮いて見えるのが特徴。ミラノ・トリエンナーレではその画期的な構造が注目を浴び、ジャパニーズデザインを世界にアピールするきっかけとなった。
1977年頃、生産終了。 テニスラケットの構造にヒントを得た駒入れ加工
ミラノ・トリエンナーレの会場
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2006
パーシモンチェア -
50年代の小椅子から始まった長大作のリ・デザインの最後のモデルで、いわば完成形。1960年のトリエンナーレモデルに採用されたラケット構造を、そのまま忠実に再現。復刻に際して「柿」の名をつけた「パーシモンチェア」として生まれ変わった。
復刻記念エキシビジョンの様子
復刻記念エキシビジョンの案内状
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20世紀を代表するフランスのデザイナー ジャン・プルーヴェの代表作。プライウッドとスチールという当時としては先進的な素材の組み合わせ。現在も、vitra(スイス)で製造されているロングセラー。
販売ページはこちら -
1934
スタンダードチェア 後脚は三角形のプレート状で、プルーヴェによる構造美学が生かされている。
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ジャン・プルーヴェと親交のあった建築家 坂倉準三の「スタンダードチェアを木製にしてみたい」という想いから、木製の椅子が試作される。この頃、長大作が坂倉準三建築研究所へ入所。ここからリ・デザインの歩みが始まる。
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1947頃
スタンダードチェアに見られた平たい脚、垂れるような座面のデザインが継承されている。
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第1号のデザインを発展させ、背や座に竹かごを採用した小椅子。
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1947頃
座面にかご編みが用いられている。
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大阪・難波の高島屋拡張工事における喫茶室の設計を長大作が一部担当。その喫茶室用の家具として製作されたのが、竹かごモデルをさらに改良した小椅子。背に丸みを帯び、プルーヴェのデザインから脱却している。
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1950
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さらに改良を重ね、背と座に成形二次曲面の合板を採用。現在のデザインに近い形状が確立される。
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1953
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曲線にこだわって試行錯誤の末、柿の実のフォルムが完成。1953年、東京銀行 丸子クラブハウスで採用される。イギリスのHabitatでも販売がスタート。のちに長大作は「柿の実を縦に割ったときの曲線の力強さに気がついた」と語っている。
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1953
丸子クラブハウス
Habitatから製品化。イギリスでの商品名は「かきチェア」という案があったが、ディレクターのトム・ディクソンの提案により「DAISAKU」という名で発売された。
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丸子クラブハウスに納品以後、住宅家具としての注文が殺到。その要望に応じ、背と座にクッションが施されたモデルが登場する。1955年、国際文化会館の食堂へビニールレザー仕様、1957年には藤山愛一郎宅、1958年には松本幸四郎宅へ本革仕様が納められた。
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1955-1958
国際文化会館の食堂
藤山邸
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初めてフレームにラケット構造(駒入れ加工)を取り入れる。座がフレームから浮いて見えるのが特徴。ミラノ・トリエンナーレではその画期的な構造が注目を浴び、ジャパニーズデザインを世界にアピールするきっかけとなった。
1977頃、生産終了。 -
1960
テニスラケットの構造にヒントを得た駒入れ加工
ミラノ・トリエンナーレの会場
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50年代の小椅子から始まった長大作のリ・デザインの最後のモデルで、いわば完成形。1960年のトリエンナーレモデルに採用されたラケット構造を、そのまま忠実に再現。復刻に際して「柿」の名をつけた「パーシモンチェア」として生まれ変わった。
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2006
パーシモンチェア 復刻記念エキシビジョンの様子
復刻記念エキシビジョンの案内状
最後のリ・デザインの内容とは─
そこへ加えた最後のリ・デザインよって、さらに美しく快適で、そして耐久性を持ち合わせた完成形のチェアが誕生しました。
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左)1960年モデル、右)2006年モデル
座面の前方が深く垂れ、背面・座面ともに、より立体的に。座り心地の良さがさらにアップしています。 -
左)1960年モデル、右)2006年モデル
合板とクッションの継ぎ目を美しい仕上げへ変更。 -
左)1960年モデル、右)2006年モデル
座面の裏側にも合板が施されており、美しく高級感のある仕上がりに。 -
左)1960年モデル、右)2006年モデル
フレームの強度を増すため、斜めの木材を追加。 -
復刻発売時、完成したパーシモンチェアに直筆サインを入れる長さん。
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復刻記念のエキシビジョン「長大作 有機的かたち」のノベルティとして製作された茶托は、のちにメトロクスから製品化。
►茶托 -
1960年の「小椅子」の復刻プロジェクトを進める中で、ダイニングテーブルも同時に製品化することに。
►マッシュルームベーステーブル -
2006年にリニューアルオープンした国際文化会館のティーラウンジには現在、同年に復刻したパーシモンチェアが使われている。